そこで住まう人の暮らしを大切に
福島市、伊達市を中心に新築・注文住宅・リフォームなど、お家づくりを手がけている会社です。
確かな性能の家を、適切な価格で提供すること。これからの"快適な暮らし"を大切に、みなさまのお家づくりをお手伝いしています。
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屋根工事にこだわって80余年
創業の想い
(株)カノウヤは 3 代目代表・樋口静克(きよかつ)の祖父が戦後間もない 1946 年に近所の瓦職人さんの手を借りて瓦屋として創業しました。
その後、地元の上保原小学校の屋根工事の依頼を受けた事をきっかけとして、本格的に屋根瓦工事業をスタートさせたそうです。
物資不足の当時、瓦も無くてあちこち探し回り、いわき市のセメント瓦工場を探し当て、瓦を購入し貨物列車を使って伊達駅まで運んで来て、そこから小運搬しながら瓦屋根を仕上げたそうです。

私のじいちゃんとばあちゃんです。

私のじいちゃんとばあちゃんです。

※写真はイメージです。
(旧小田原小学校)
2代目へ
その後 2 代目に当たる私の父が農家と兼業で瓦工事の仕事を手伝う様になりました。
ある時父が、「自分で売値が決められない農家なんて辞めてやる!」と屋根瓦工事を専業にした...と聞いています(父は 10 年前(2015 年)に他界しました)。
3代目の挑戦
その後、現代表の私・樋口静克(きよかつ)が大学(箱根駅伝で有名な東洋大学です)の建築科を卒業して、7年半ほど地元ゼネコン「佐藤工業」で建築と土木の現場監督の経験を積み、29 歳の時に実家であるカノウヤに入社しました。
当初は 9 人の職人さんと一緒に屋根に上がって瓦を葺いて(瓦を並べることを葺くと言います)いました。
1 年ほど現場で屋根瓦工事の経験を積み、営業職に回ります。
もちろん技術も大切と考え、若い職人さんの資格取得にも熱心に取組み、私自身も「がわら葺一級技能士」を取得しました。
現場の打ち合わせ、見積り、材料手配、職人さんへの指示...など出来る事はなんでもやっていました。
ゼネコン在職中に「建築士」の資格は取得していましたので、屋根瓦工事のお取引先である大工さん、工務店、ハウスメーカーなどに対して、営業フォローとしてパソコンを使ったパース図作成やウォークスルーと言う動画作成、最終的には完成模型の作成までしていました。

こんな格好で現場を駆けずり回っていました

かわら葺き一級技能士の試験が終了した時の写真です




事業拡大
また大手屋根材メーカー(ラファージュ・三州瓦)の担当者と積極的に取引先開拓もしていた事でドンドン仕事も増えて行きました。
いつの間にか、社員さん全員で 24 名、屋根工事の職人さんが 18 人の大所帯になっていました。
その当時はバブルが崩壊して数年経っていましたので一部に...
・支払いしない(出来ない)工務店
・Net(取り決め)価格を決めていたにも関わらず集金に行くと「幾ら負けんだ?」と言う大工
・いつのまにか夜逃げした地元ハウスメーカー
・瓦屋さんからの注文が減った事で、「三州瓦メーカーが直接大手ハウスメーカーに安値販売開始」
...などが重なった時期でした。
しかし当時、全くの新規事業で始めたエンドユーザーさん向けの「太陽光発電事業」が環境意識の高まりと補助事業の後押しもあって、順調に契約数も延びてていました。


住宅事業への挑戦
実はこの頃から、「家を建てる仕事をしてみようかな...」と考え始めていました。
もともと建築科の大学は出ていてある程度の知識はあるし、建築士の資格も持っている。会社として建設業の許可も取っている(父親の先見の明に感謝です)。設計のプレゼン方法は取引先を通してかなりの数のお手伝いをしていました。広告宣伝は太陽光で上手くいっていて、エンドユーザーさんの対応も分かって来ていました。
ただ、1 番の迷いは当時 200 社以上あったお取引先との関係でした。
「下請けの屋根瓦工事店として住宅の元請けを始めたとすると、取引先とバッチリライバルになってしまうので、今までの様に瓦屋根の仕事が貰えなくなるだろう...」と言う事でした。
しかし、この迷いにピリオドを打った出来事がありました。
ある時、屋根材メーカーの担当営業さんと屋根材のPR営業に得意先を回っていました。地元では老舗建設会社の社長の息子さんとお話しをしていた時の事。
「樋口さん、もちろん瓦の良い事なんて私達もわかっていますよ。でも取り敢えずスレートやガルバの板金で安くあげとけば、10 年後また塗り替えリフォームで儲けられるじゃないですか! 契約もスレートやガルバの方がトータルの金額が安くなって決まりやすいんですよ」
この時思ったのが、「そっか、家を建てている人の中にはこんな風に考えている人が(一部に)いるんだ...」と言う事です。
ふたご座 B 型の単純な僕...「であれば...僕達が家を建てる人が幸せになれる家づくりをしても良いんじゃないか!」・・・と、案外単純な(?)動機で住宅事業をスタートする事になりました。


理想の家づくり
ただ準備には 1 年以上の期間をかけました。
当時考えていた事は次の通りです。
・同じ建物だったらお値打ちの家の方が良い
・同じ値段だったら、デザインが良くて性能が高い家の方が良い
・せっかく一生に一回の家を建てるんだから、補助金や住宅ローンの金利優遇、火災保険の割引等が受けられる家の方が良い
・断熱性能が高くって、冬暖かくて夏涼しい家の方が良い
・耐震性能が高くって、地震に強い建物の方が良い
・太陽光発電を設置して建てた後のランニングコストの安い家の方が良い
・健康素材を使って、病気になりにくい家の方が良い
その理想の家づくりを実現する為に・・・あっちこっちのセミナーと呼ばれる勉強会に参加していました。東京開催、1回の会費が3万円位が当時の相場だったと思います。




コストダウンへの取り組み
最初に取り組んだのがコストダウンです。
家を 1 軒建てるために掛かる金額には、システムキッチン・ユニットバスなどの資材と合わせて大工工事、基礎工事、外壁工事などの職人さんがかかわる工事があります。このコストを影響の無い様に下げる事。
必要以上に発注金額を下げると腕の良い業者さんが集められなくなり、手抜きを始められる事もあります。
システムキッチンやユニットバスは物が同じで一番お安いところから仕入れる方法を検討しました。
また、職人さんが関わる業種に関しては全国の平均価格、最安値価格が分かる方法が無いかと調べました。
最終的には、共同購買によって仕入れ価格を下げ、年間3回会員に工事単価のアンケートを取ってそのレポートを送ってくれるコンサルティング会社(NAC)が運営している団体(グランピアネット)に加盟する事にしました。
それらの内容と合わせて、住宅の商品開発やチラシの作成法も学ぶことが出来ました。(加盟金○○○万円!)
そして現在
何とか準備が出来た時に、たまたま東京でJRに勤めていた従兄が定年で地元に帰って来て家を建てるとの話が出ていました。
「家を造る仕事を始めようと計画しているんです」との話した所、快くOKを貰いその家を建てさせて頂いてから早くも 20 年数年の年月が経ちました。
リーマンショックや東日本大震災、コロナ禍がありましたが合計で約 90 棟のお住まいづくりに屋根工事も出来る住宅会社として携わらせて頂いています。

